夫の実家にて
2001年9月10日夫の(夫を8歳から育ててくれた)お母さんに
電車の中からショートメールを打ちました。
「突然ですが、これから行ってもいいですか?」と。
お母さんはいつも「何かあったらうちに逃げておいで」と
言ってくれていたのです。
夫のお母さんは、夫が初めて暴力を振るい始めた頃から
そのことを知っていました。
私が、痛めつけられて泣いていた時に、たまたま電話が掛かって来て
「どうしたの?」とびっくりしたお母さんから優しい声で訊かれて、
堪え切れずに白状してしまったのです。
「あの子がそんなに気の短い子だとは知らなかった」と言いつつも
いつも私を気遣ってくれて、電話やメールで様子を訊いてくれたり
夫に生活費を入れてもらえない私のために
時々お米やお味噌やお野菜を小包で送ってくれたりしていました。
夫のことを、自分の産んだ3人の子供と同じように可愛がってくれて
夫も、お母さんのことが好きだ、と言っていました。
だから、夫が「親にも言えなかった」と言っていた
膨大な借金のことを夫に内緒で夫のお母さんに
打ち明けてしまっていたことについては
後ろめたい思いも少なからずありました。
その上、こうして夫の実家に逃げ込む、というのは
夫の家族に暴力や借金のことがバレてしまう、ということを
意味しているのですから、夫は怒るかも知れません。
でも、もう私一人の力ではどうにもならないと思いました。
お母さんからは「どうぞ、いらっしゃい」と返事が届きました。
家を出て来る時、何日くらい出ることになるか
まだ決めていなかったのですが
「とにかく今 夫と一緒にいたら危険だ」
「取り返しのつかないことになる」というのだけは
本能的に分かりました。
警察沙汰になるか、新聞沙汰になるか……
いずれにせよ、大変なことになってしまうのは目に見えています。
前の年の秋にも、頭を強打されて記憶がなくなったりして
病院で検査をすることになった時も
「もしも神経が切れていたりして後遺症が残るようなことになったら
この人(夫)とは別れなきゃならないかも知れない。
自分が殴って頭のおかしくなってしまった女と暮らすのは
耐えられないことだろうから」と覚悟していました。
そうなってしまわないためには、一時的にでも
夫の傍を離れなければならない、と思いました。
夫のことが好きで、離れずに暮らしたいからこそ
今は一時的に離れなければ、と思ったのです。
それで、夫の両親に間に入ってもらって話し合いをしないと
自分達だけではもうどうすることも出来ない、とも思ったのです。
夫の実家へは、電車で2時間弱です。
電車に乗って30分くらい経った頃から、携帯電話に
夫から何度も電話が掛かって来はじめました。
でも、私は怖くなって電話に出ることが出来ませんでした。
電話に出たら「もう別れよう」と
言われてしまうのかと思ったからです。
そんなことを言われてしまったら、と考えると怖くなって
電話が鳴っているのをずっと出ないでいました。
夫の実家に着くと、お父さんとお母さんが迎えてくれました。
「まずは、温かい御飯を食べて落ち着きなさい」と言って
美味しい御飯を食べさせてくれました。
でも、お腹を強く蹴られていた私は
折角の美味しい御飯を少ししか食べられませんでした。
実は、私が到着する前に、夫から実家に電話があったそうです。
でも、私が来ているかどうかには触れずに
「風邪をひいたから、明日の法事は行けない」とだけ
言っていたそうです。
お父さんは、私が家を出て今こっちに向かっている、ということを
知っていたのですけれど、わざと知らないふりをして
「○○(私)は来られるの?」と訊いてみたそうです。
そうしたら夫は、実家には行っていないな、と思ったらしく
「あいつは行くって言ってたよ」と、何喰わぬ調子で
言っていたそうです。
御飯を食べていた時に、夫からメールが届きました。
「どこにおるねん。戻って来んのやったら娘(猫)と一緒に死ぬ」
私はそれを読んで「死ぬ」と書いてあったので
すっかり狼狽えてしまいましたが
横から覗き込んだお父さんとお母さんは
「『死ぬ』なんて言ったってホントに死んだりせんから
大丈夫よ」と言って笑っていました。
でも、その少し前に夫が私と一緒に死にたい、と言った時に
「娘(猫)を一人で残して逝ったら可哀想だから
その時は、先に始末しないと駄目なのかな」と言っていたのです。
夫は、ものすごく猫好きで有名で
猫のことは本当に可愛がる人なのに
「始末」なんて言葉を使ったので、私は怖くなってしまいました。
本気なのかしら、と思いました。
だから、このメールを読んでも、笑い飛ばすことが出来ないのです。
「どうしよう、死んじゃったら」「でも今戻ったら危険だし」
2つの思いの狭間で、私は困ってしまいました。
夫の両親は「遠くて大変だけど、勤めもここから通っていいし
少なくとも2〜3日はここにいなさい」と言ってくれました。
初めは「どこの夫婦にも、喧嘩はあるんだよ」と言っていた
お父さんも、喧嘩の内容(暴力のこと)を聞くと
「たとえ○○(私)がどんなにひどいことを言ったとしても
大の男が女の人に手を上げるなんて許されない」と言いました。
夫のお父さんは、弱い者いじめなどが大嫌いな人なので
この夜 初めて息子の暴力のことを聞かされて
とてもショックを受けていました。
考えられない、あってはならないことだ、と言って
一度 息子に会いに行って話し合いをしなきゃ、と言いました。
そのうちに、また私の携帯電話に夫から着信があって
今度は、お母さんが出てくれました。
それで、夫は「ああ、俺の実家に行っているんだ」と分かったらしく
「そこにいるなら別にいい……」と言って
電話を切ってしまったそうです。
体中が痛い私に、夫のお母さんが薬を塗ってくれました。
その夜は、夫のお母さんと並んで眠りました。
電車の中からショートメールを打ちました。
「突然ですが、これから行ってもいいですか?」と。
お母さんはいつも「何かあったらうちに逃げておいで」と
言ってくれていたのです。
夫のお母さんは、夫が初めて暴力を振るい始めた頃から
そのことを知っていました。
私が、痛めつけられて泣いていた時に、たまたま電話が掛かって来て
「どうしたの?」とびっくりしたお母さんから優しい声で訊かれて、
堪え切れずに白状してしまったのです。
「あの子がそんなに気の短い子だとは知らなかった」と言いつつも
いつも私を気遣ってくれて、電話やメールで様子を訊いてくれたり
夫に生活費を入れてもらえない私のために
時々お米やお味噌やお野菜を小包で送ってくれたりしていました。
夫のことを、自分の産んだ3人の子供と同じように可愛がってくれて
夫も、お母さんのことが好きだ、と言っていました。
だから、夫が「親にも言えなかった」と言っていた
膨大な借金のことを夫に内緒で夫のお母さんに
打ち明けてしまっていたことについては
後ろめたい思いも少なからずありました。
その上、こうして夫の実家に逃げ込む、というのは
夫の家族に暴力や借金のことがバレてしまう、ということを
意味しているのですから、夫は怒るかも知れません。
でも、もう私一人の力ではどうにもならないと思いました。
お母さんからは「どうぞ、いらっしゃい」と返事が届きました。
家を出て来る時、何日くらい出ることになるか
まだ決めていなかったのですが
「とにかく今 夫と一緒にいたら危険だ」
「取り返しのつかないことになる」というのだけは
本能的に分かりました。
警察沙汰になるか、新聞沙汰になるか……
いずれにせよ、大変なことになってしまうのは目に見えています。
前の年の秋にも、頭を強打されて記憶がなくなったりして
病院で検査をすることになった時も
「もしも神経が切れていたりして後遺症が残るようなことになったら
この人(夫)とは別れなきゃならないかも知れない。
自分が殴って頭のおかしくなってしまった女と暮らすのは
耐えられないことだろうから」と覚悟していました。
そうなってしまわないためには、一時的にでも
夫の傍を離れなければならない、と思いました。
夫のことが好きで、離れずに暮らしたいからこそ
今は一時的に離れなければ、と思ったのです。
それで、夫の両親に間に入ってもらって話し合いをしないと
自分達だけではもうどうすることも出来ない、とも思ったのです。
夫の実家へは、電車で2時間弱です。
電車に乗って30分くらい経った頃から、携帯電話に
夫から何度も電話が掛かって来はじめました。
でも、私は怖くなって電話に出ることが出来ませんでした。
電話に出たら「もう別れよう」と
言われてしまうのかと思ったからです。
そんなことを言われてしまったら、と考えると怖くなって
電話が鳴っているのをずっと出ないでいました。
夫の実家に着くと、お父さんとお母さんが迎えてくれました。
「まずは、温かい御飯を食べて落ち着きなさい」と言って
美味しい御飯を食べさせてくれました。
でも、お腹を強く蹴られていた私は
折角の美味しい御飯を少ししか食べられませんでした。
実は、私が到着する前に、夫から実家に電話があったそうです。
でも、私が来ているかどうかには触れずに
「風邪をひいたから、明日の法事は行けない」とだけ
言っていたそうです。
お父さんは、私が家を出て今こっちに向かっている、ということを
知っていたのですけれど、わざと知らないふりをして
「○○(私)は来られるの?」と訊いてみたそうです。
そうしたら夫は、実家には行っていないな、と思ったらしく
「あいつは行くって言ってたよ」と、何喰わぬ調子で
言っていたそうです。
御飯を食べていた時に、夫からメールが届きました。
「どこにおるねん。戻って来んのやったら娘(猫)と一緒に死ぬ」
私はそれを読んで「死ぬ」と書いてあったので
すっかり狼狽えてしまいましたが
横から覗き込んだお父さんとお母さんは
「『死ぬ』なんて言ったってホントに死んだりせんから
大丈夫よ」と言って笑っていました。
でも、その少し前に夫が私と一緒に死にたい、と言った時に
「娘(猫)を一人で残して逝ったら可哀想だから
その時は、先に始末しないと駄目なのかな」と言っていたのです。
夫は、ものすごく猫好きで有名で
猫のことは本当に可愛がる人なのに
「始末」なんて言葉を使ったので、私は怖くなってしまいました。
本気なのかしら、と思いました。
だから、このメールを読んでも、笑い飛ばすことが出来ないのです。
「どうしよう、死んじゃったら」「でも今戻ったら危険だし」
2つの思いの狭間で、私は困ってしまいました。
夫の両親は「遠くて大変だけど、勤めもここから通っていいし
少なくとも2〜3日はここにいなさい」と言ってくれました。
初めは「どこの夫婦にも、喧嘩はあるんだよ」と言っていた
お父さんも、喧嘩の内容(暴力のこと)を聞くと
「たとえ○○(私)がどんなにひどいことを言ったとしても
大の男が女の人に手を上げるなんて許されない」と言いました。
夫のお父さんは、弱い者いじめなどが大嫌いな人なので
この夜 初めて息子の暴力のことを聞かされて
とてもショックを受けていました。
考えられない、あってはならないことだ、と言って
一度 息子に会いに行って話し合いをしなきゃ、と言いました。
そのうちに、また私の携帯電話に夫から着信があって
今度は、お母さんが出てくれました。
それで、夫は「ああ、俺の実家に行っているんだ」と分かったらしく
「そこにいるなら別にいい……」と言って
電話を切ってしまったそうです。
体中が痛い私に、夫のお母さんが薬を塗ってくれました。
その夜は、夫のお母さんと並んで眠りました。
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