夫の気持ちは?
2001年9月2日話し合いが済んだ後、私は暫くの間、虚脱状態になっていました。
それまでは、混乱する気持ちを「とにかく14日の話し合いまで」と
奮い立たせて自棄を起こさないように努めていたのですが
夫が「一緒に暮らす意味がない」と言っていた、と聞いたことで
そして、話し合いの日に夫に会わせてもらえなかったことで
すっかり力が抜けてしまったのです。
「逢いたいよ」「もう一度話をしよう」と毎日のように
携帯にメールが入っていたのに、なぜ急に
「一緒に暮らす意味がない」と言われてしまったのか
訳が分からなくなってしまいました。
20日間近くも連絡しなかったから、怒っているのかとも思いました。
それとも……。
これは、あまり考えたくない想像ですが
殴っていたことが私の親にも自分の親にもバレてしまい
もう思う存分に私のことを殴ることが出来なくなってしまったので
好きなだけ殴れるサンドバッグではなくなってしまった私に対して
興味を失ってしまったのか、とまで思いました。
以前、夫と喧嘩になって殴られた後、鼠蹊部を思いきり蹴り上げられ
動けなくなってしまったことがありました。
暴力を振るい終わって外に出て行ってしまった夫に携帯電話で
「動けないから」と助けを求めたのですが
(怖い目に遭っても、やっぱり頼れるのは夫しかいないのです)
その時に、団地の下にいた夫が
「ここで見ていてやるから、俺のことが好きなら
そこから飛び降りてみろ」と私に言いました。
私は、その時、ベランダにも行けないくらい痛みが激しかったので
(実際、そのあとに鏡で見たら、鼠蹊部に
見るも無惨な、ぶよぶよした大きな血膨れが出来ていました)
飛び降りることが出来ませんでした。
今考えたら、飛び降りることなんか出来なくて当たり前なのに
今回 家を出て来て、叔母に色々と話を聞いてもらうまで
私はこの時に飛び降りられなかったことを
夫に対してものすごく負い目に感じていたのです。
夫のことが好きで好きで、自分のことよりも大切に思って
一緒になったのに、いざとなったら、結局は自分の命が惜しいのか、と
自分のことが猾い人間に思えてなりませんでした。
夫は、よく私に言いました。
「俺は、お前のことを殴ったり蹴ったり馬鹿にしたりして
ひどいことばかりしてきたのに、お前は俺のことを嫌いにならないで
ずっと傍にいてくれてありがとう」と。
私は、「俺のことが好きならそこから飛び降りてみろ」という
夫の言葉を聞いた時に、「ひどい」と感じるよりも寧ろ
とても悲しい気持ちになりました。
夫が欲しいのは、自分に対して注がれる
どんな時にも変わることのない確かな愛情だったのかも知れません。
もしもあの時に飛び降りていたらどうなっていたんだろう、と
そればかり考えていました。
あの時に飛び降りられなかったことが、とんでもない過ちに思えて
悔やみました。(因みに私達の家は、団地の5階でした)
せめて3階くらいに住んでいたら……
そして、落下地点が1階の住人の庭の花壇の中でなかったら……、と
考えても仕方がないことでずっとくよくよしていました。
「あの時、飛び降りられなかったのは、私が悪いんじゃないんだ」
「飛び降りられなくて当然なんだ」「良かった、飛び降りなくて」と
思えるようになったのは、本当につい最近のことなのです。
だけど、この時は「こんなことになるのなら
あの時に飛び降りていれば良かった」と本気で思いました。
最愛の夫に逢えないままこの先の人生を送るくらいなら
一緒にいるうちに死んでしまえば良かった、とも思いました。
或いは、最後にひどく暴力を振るわれて首を絞められた時に
抵抗しないで死んでしまえば良かった、とも思いました。
そうしたら、彼の腕の中で彼に看取られて逝くことができたのに。
彼の顔を見ながら最後の瞬間を迎えられたのに。
「一緒に死のう」と言われたことも、何度かありました。
「お前のこと好きなのに、一緒にいると殴っちゃう。
仲良しでいられるうちに(二人の)手と手を縛って
一緒に飛び降りよう」と。
もう、疲れ切っていた私は「それも悪くないな」と一瞬は思いました。
愛している人と一緒に逝けるなら……、と思ったのです。
そうしないと、そのうち彼が「殺人犯」として
新聞に載る日が来ると思ったからです。
恐らく、私を殺してしまったら、彼もすぐに後を追うかも知れません。
それならいっそ、二人仲良く……、と思ったのです。
でも、出来ませんでした。
「一緒に死ぬより、一緒に生きて行きたい」と頼みました。
どんなに好きでも、一緒に死ぬことが出来ない訳があったのです。
それまでは、混乱する気持ちを「とにかく14日の話し合いまで」と
奮い立たせて自棄を起こさないように努めていたのですが
夫が「一緒に暮らす意味がない」と言っていた、と聞いたことで
そして、話し合いの日に夫に会わせてもらえなかったことで
すっかり力が抜けてしまったのです。
「逢いたいよ」「もう一度話をしよう」と毎日のように
携帯にメールが入っていたのに、なぜ急に
「一緒に暮らす意味がない」と言われてしまったのか
訳が分からなくなってしまいました。
20日間近くも連絡しなかったから、怒っているのかとも思いました。
それとも……。
これは、あまり考えたくない想像ですが
殴っていたことが私の親にも自分の親にもバレてしまい
もう思う存分に私のことを殴ることが出来なくなってしまったので
好きなだけ殴れるサンドバッグではなくなってしまった私に対して
興味を失ってしまったのか、とまで思いました。
以前、夫と喧嘩になって殴られた後、鼠蹊部を思いきり蹴り上げられ
動けなくなってしまったことがありました。
暴力を振るい終わって外に出て行ってしまった夫に携帯電話で
「動けないから」と助けを求めたのですが
(怖い目に遭っても、やっぱり頼れるのは夫しかいないのです)
その時に、団地の下にいた夫が
「ここで見ていてやるから、俺のことが好きなら
そこから飛び降りてみろ」と私に言いました。
私は、その時、ベランダにも行けないくらい痛みが激しかったので
(実際、そのあとに鏡で見たら、鼠蹊部に
見るも無惨な、ぶよぶよした大きな血膨れが出来ていました)
飛び降りることが出来ませんでした。
今考えたら、飛び降りることなんか出来なくて当たり前なのに
今回 家を出て来て、叔母に色々と話を聞いてもらうまで
私はこの時に飛び降りられなかったことを
夫に対してものすごく負い目に感じていたのです。
夫のことが好きで好きで、自分のことよりも大切に思って
一緒になったのに、いざとなったら、結局は自分の命が惜しいのか、と
自分のことが猾い人間に思えてなりませんでした。
夫は、よく私に言いました。
「俺は、お前のことを殴ったり蹴ったり馬鹿にしたりして
ひどいことばかりしてきたのに、お前は俺のことを嫌いにならないで
ずっと傍にいてくれてありがとう」と。
私は、「俺のことが好きならそこから飛び降りてみろ」という
夫の言葉を聞いた時に、「ひどい」と感じるよりも寧ろ
とても悲しい気持ちになりました。
夫が欲しいのは、自分に対して注がれる
どんな時にも変わることのない確かな愛情だったのかも知れません。
もしもあの時に飛び降りていたらどうなっていたんだろう、と
そればかり考えていました。
あの時に飛び降りられなかったことが、とんでもない過ちに思えて
悔やみました。(因みに私達の家は、団地の5階でした)
せめて3階くらいに住んでいたら……
そして、落下地点が1階の住人の庭の花壇の中でなかったら……、と
考えても仕方がないことでずっとくよくよしていました。
「あの時、飛び降りられなかったのは、私が悪いんじゃないんだ」
「飛び降りられなくて当然なんだ」「良かった、飛び降りなくて」と
思えるようになったのは、本当につい最近のことなのです。
だけど、この時は「こんなことになるのなら
あの時に飛び降りていれば良かった」と本気で思いました。
最愛の夫に逢えないままこの先の人生を送るくらいなら
一緒にいるうちに死んでしまえば良かった、とも思いました。
或いは、最後にひどく暴力を振るわれて首を絞められた時に
抵抗しないで死んでしまえば良かった、とも思いました。
そうしたら、彼の腕の中で彼に看取られて逝くことができたのに。
彼の顔を見ながら最後の瞬間を迎えられたのに。
「一緒に死のう」と言われたことも、何度かありました。
「お前のこと好きなのに、一緒にいると殴っちゃう。
仲良しでいられるうちに(二人の)手と手を縛って
一緒に飛び降りよう」と。
もう、疲れ切っていた私は「それも悪くないな」と一瞬は思いました。
愛している人と一緒に逝けるなら……、と思ったのです。
そうしないと、そのうち彼が「殺人犯」として
新聞に載る日が来ると思ったからです。
恐らく、私を殺してしまったら、彼もすぐに後を追うかも知れません。
それならいっそ、二人仲良く……、と思ったのです。
でも、出来ませんでした。
「一緒に死ぬより、一緒に生きて行きたい」と頼みました。
どんなに好きでも、一緒に死ぬことが出来ない訳があったのです。
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