鳴り続ける電話を見つめながら……
2001年8月25日6月26日の朝に家を出た私は、その日の仕事を終えた後、
仕事場の近くのビジネス・ホテルに向かいました。
それから4日間、そのホテルに泊まりました。
家を出た朝、実家の母親に電話を掛けて
「家を出て来た」と伝えました。
今思うとどうしてそんなことをしたのか分かりません。
3日くらいで戻るつもりで出て来たのに。
帰らないつもりなんてなかったのに。
実は、1ヶ月ほど前から母親には怪しまれていたのです。
まずは、生活費を貰えていないことが勘付かれました。
夫と一緒に私の実家に行く時も、手土産などは欠かさず、
「そこそこリッチ」なふりをしていたのに何故? と問うと、
「母親の勘だ」と言われました。
続いて、暴力のことも薄々ではありますが、勘付かれてしまいました。
隠していたつもりだったのに、隠し切れなくなってしまったのです。
今思えば隠し続けることに疲れていたのかも知れません。
それで、「今度の給料日にお金を持って来なかったら
一度 家を出て来なさい」と約束させられてしまいました。
でも、問題の25日、夫は生活費を持って来てくれませんでした。
「仕事が忙しかったから銀行に行けなかった」と言うのです。
私は、夫と一緒にいるために、もう1日だけ待とうと思いました。
生活費を入れてもらえないのは今に始まったことではなく、
今回も貰えなかったからといって、急に困る訳ではありません。
でも、次の朝にそのことで口論になり、夫は
「もう給料なんか持って来ない。一銭も渡さない」と怒鳴りました。
そして、トイレのドアが壊れる羽目になったのです。
家を出て来たことを告げると、母親は
「すぐに実家に来なさい」と言いました。
でも私は「週末まで待って。すぐには行けない」と言いました。
すぐには行けない訳があったのです。
それは、10日前に夫に暴力を振るわれた時に出来たアザです。
不思議なことに、その晩は目立ったアザは出て来ませんでした。
その日は、家を逃げ出して、電車で2時間ほどのところにある
夫の実家に転がり込みました。
そこでお母さんが痛み止めの塗り薬を塗ってくれたのですが
その時は「目立った傷もアザもないよ」と言われました。
蹴られている時は恐怖の余り泣き叫び、「死んでしまう」と感じ、
お腹を蹴られて吐いたり、頭を殴られて気持ち悪くなったり、
「もうイヤだ」「もうイヤだ」と思っているのに
過ぎてしまえば、「怖い気持ち」<「愛しい気持ち」で、
一晩だけ泊めてもらっだあと、次の夜には夫の元へ帰りました。
ところが、帰った夜にシャワーを浴びた時、
鏡に映った自分の背中を見て、びっくりしました。
背中も腰も脇腹も、どす黒いアザで一杯なのです。
しかも、強く蹴られたせいで、アザがしっかり
夫の爪先の形をしているのです。
「そう言えば、高校生の頃はサッカー部だったんだよなぁ」などと
妙なところで感心してしまいました。
アザはなかなか消えず、体中がまだら模様で、
とても実家になんか行けなかったのです。
母親は、自分の弟(私の叔父)に相談の電話を掛けました。
彼は、たまたまDV問題の専門家だったのです。
叔父は「実家に行くと押し掛けて来られるかも知れないから
俺の家に来させなさい」と私の母親に告げ、
私は、そこに行くまで、夫と連絡を取ってはならないと言われました。
夫からは連日、「どこにいるの?」「俺が全部悪かった」
「帰って来て」「帰って来て」とメールが入り、
携帯電話も休む暇もなく鳴り続けていました。
でも「今 電話に出て『帰って来い』と言われたら
きっと彼の元に帰ってしまうでしょう?
そうしたら、あなたも彼も駄目になってしまうんだよ」と
周りのみんな(叔父の家族や私の両親)から言われました。
ずっとインターネットで相談に乗ってくれていた方たちも
「今が我慢のしどころ」と言いました。
私は、鳴り続ける電話を歯を食いしばって見つめながら
涙を流して我慢していました。
そんな私を見て、両親は「どうして死ぬような目に遭いながら
そんなに彼のことを恋しがるのか」と訝っていました。
仕事場の近くのビジネス・ホテルに向かいました。
それから4日間、そのホテルに泊まりました。
家を出た朝、実家の母親に電話を掛けて
「家を出て来た」と伝えました。
今思うとどうしてそんなことをしたのか分かりません。
3日くらいで戻るつもりで出て来たのに。
帰らないつもりなんてなかったのに。
実は、1ヶ月ほど前から母親には怪しまれていたのです。
まずは、生活費を貰えていないことが勘付かれました。
夫と一緒に私の実家に行く時も、手土産などは欠かさず、
「そこそこリッチ」なふりをしていたのに何故? と問うと、
「母親の勘だ」と言われました。
続いて、暴力のことも薄々ではありますが、勘付かれてしまいました。
隠していたつもりだったのに、隠し切れなくなってしまったのです。
今思えば隠し続けることに疲れていたのかも知れません。
それで、「今度の給料日にお金を持って来なかったら
一度 家を出て来なさい」と約束させられてしまいました。
でも、問題の25日、夫は生活費を持って来てくれませんでした。
「仕事が忙しかったから銀行に行けなかった」と言うのです。
私は、夫と一緒にいるために、もう1日だけ待とうと思いました。
生活費を入れてもらえないのは今に始まったことではなく、
今回も貰えなかったからといって、急に困る訳ではありません。
でも、次の朝にそのことで口論になり、夫は
「もう給料なんか持って来ない。一銭も渡さない」と怒鳴りました。
そして、トイレのドアが壊れる羽目になったのです。
家を出て来たことを告げると、母親は
「すぐに実家に来なさい」と言いました。
でも私は「週末まで待って。すぐには行けない」と言いました。
すぐには行けない訳があったのです。
それは、10日前に夫に暴力を振るわれた時に出来たアザです。
不思議なことに、その晩は目立ったアザは出て来ませんでした。
その日は、家を逃げ出して、電車で2時間ほどのところにある
夫の実家に転がり込みました。
そこでお母さんが痛み止めの塗り薬を塗ってくれたのですが
その時は「目立った傷もアザもないよ」と言われました。
蹴られている時は恐怖の余り泣き叫び、「死んでしまう」と感じ、
お腹を蹴られて吐いたり、頭を殴られて気持ち悪くなったり、
「もうイヤだ」「もうイヤだ」と思っているのに
過ぎてしまえば、「怖い気持ち」<「愛しい気持ち」で、
一晩だけ泊めてもらっだあと、次の夜には夫の元へ帰りました。
ところが、帰った夜にシャワーを浴びた時、
鏡に映った自分の背中を見て、びっくりしました。
背中も腰も脇腹も、どす黒いアザで一杯なのです。
しかも、強く蹴られたせいで、アザがしっかり
夫の爪先の形をしているのです。
「そう言えば、高校生の頃はサッカー部だったんだよなぁ」などと
妙なところで感心してしまいました。
アザはなかなか消えず、体中がまだら模様で、
とても実家になんか行けなかったのです。
母親は、自分の弟(私の叔父)に相談の電話を掛けました。
彼は、たまたまDV問題の専門家だったのです。
叔父は「実家に行くと押し掛けて来られるかも知れないから
俺の家に来させなさい」と私の母親に告げ、
私は、そこに行くまで、夫と連絡を取ってはならないと言われました。
夫からは連日、「どこにいるの?」「俺が全部悪かった」
「帰って来て」「帰って来て」とメールが入り、
携帯電話も休む暇もなく鳴り続けていました。
でも「今 電話に出て『帰って来い』と言われたら
きっと彼の元に帰ってしまうでしょう?
そうしたら、あなたも彼も駄目になってしまうんだよ」と
周りのみんな(叔父の家族や私の両親)から言われました。
ずっとインターネットで相談に乗ってくれていた方たちも
「今が我慢のしどころ」と言いました。
私は、鳴り続ける電話を歯を食いしばって見つめながら
涙を流して我慢していました。
そんな私を見て、両親は「どうして死ぬような目に遭いながら
そんなに彼のことを恋しがるのか」と訝っていました。
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