まだ自分が許せない
2001年8月24日夫と暮らし始めたのは、去年の早春のことです。
今 思うと、僅か1年4ヶ月間のことでした。
でも、私にとってはとても長く感じられました。
……暴力を振るわれるのが辛くて長く感じたのではありません。
もう、ず〜っと何年も連れ添ったかのような安心感があるのです。
暴力を振るわれたのは、去年の7月から約1年間、
その間に、怪我をするくらい大きなのは7回でした。
病院に行った事も5回ほどありました。
首を絞められて気が遠くなり、過換気症候群の発作を起こしたり、
後頭部を殴られた後に記憶障害が出てCTを撮りに行ったり、
お腹を殴られたり蹴られたりして血の混じった胃液を吐き
胃カメラを撮りに行ったり……。
後でも延べますが、夫にはあまり生活費を貰えませんでした。
だから、ただでさえ足りないお金が病院代に消えて行くのが
勿体無くて悲しくてたまりませんでした。
それなのに。
夫の事はちっとも嫌いになれないのです。
「怖い」と感じる事はあっても、嫌いにはなれないのです。
暴力を振るっている時の夫は、目付きも声もいつもと違って、
「手加減」ということもしてくれないし、
夫が疲れて気が済むまで止むことがありません。
「ああ、私は死ぬんだな」と感じた事も何度かありました。
でも、普段はとても優しくて穏やかで、いい人なのです。
見た目にも素敵だし、色々な才能を持った人なのです。
結婚が決まって、家族に紹介した時も、両親も祖母も大喜びし、
「良くこんな素敵な人を見付けたなぁ!」と大騒ぎになりました。
厳しかった父も、口うるさかった母も、手放しで祝ってくれて、
夫に色々買ってくれたり、美味しいお店に連れて行ってくれたり、
こちらが気恥ずかしくなるくらいの気に入りようでした。
だからこそ「実は暴力を振るわれている」なんて
「生活費を入れてもらえなくて私が普段の勤めの他に
アルバイトをして生活している」なんて
とてもじゃないけど言えなかったのです。
私が一緒に仕事をしていたパートナーの女性にはバレていました。
顔や体のアザが見えてしまうからです。
それでも仕事に行かないと生活出来ないし
1日でも休んでしまったら、そこで私の気力が
ぷっつり切れてしまいそうで休めなかったのです。
上唇と下唇のそれぞれ左半分が、
マジックで塗りつぶしたみたいに真っ黒に変色したり、
額が腫れ上がって顔が変型したり……。
今 思うと、そんなのと一緒に仕事をしている方も
たまらなかったでしょうね。
でも、当時は必死だったから、そこまで思い至りませんでした。
アザや怪我のない時を見計らってはお互いの実家に行って
みんなから「二人は本当に仲が良いねぇ」と言われていました。
だけど、私達は決して「仲の良いふり」をしていた訳ではないのです。
長年連れ添った老夫婦のように、
お互いの考えている事が手に取るように分かるのです。
本当に仲が良かったし、気が付くといつも同じことを考えていました。
一緒にいることが自然で、離れるなんて考えられませんでした。
小さい頃からコンプレックスの塊だった私は
夫といることで初めて生き生きと輝くことが出来ました。
殴られても蹴られても、夫を嫌いになれません。
今でも、憎むことも恨むことも出来ません。
暴力を振るった後いつも、
夫は詫びながら「俺の事を殴れ」と言います。
でも、私は出来ませんでした。
「いいから殴ってくれ」と繰り返す夫の声を聞きながら
いつも自分の事を殴ってしまうのです。
夫を殴ることなんて出来ないのです。
「怖い」とは思っても、やっぱり大好きなのです。
でも……。
あの日 家を出て来なかったら、どうなっていたか分かりません。
もしかしたら「最悪の事態」になっていたかも知れないのです。
そうは思っても、夫と子猫を残して家を出て来た自分を
今は自分で許すことが出来ません。
周りの人は、私が夫と離れたことで、最悪の事態をまぬがれた、
これは夫にとっても良かった事なのだ、と言ってくれます。
それでも、今はまだ、出て来たことが良かったのか悪かったのか
自分でも分からないでいます。
今 思うと、僅か1年4ヶ月間のことでした。
でも、私にとってはとても長く感じられました。
……暴力を振るわれるのが辛くて長く感じたのではありません。
もう、ず〜っと何年も連れ添ったかのような安心感があるのです。
暴力を振るわれたのは、去年の7月から約1年間、
その間に、怪我をするくらい大きなのは7回でした。
病院に行った事も5回ほどありました。
首を絞められて気が遠くなり、過換気症候群の発作を起こしたり、
後頭部を殴られた後に記憶障害が出てCTを撮りに行ったり、
お腹を殴られたり蹴られたりして血の混じった胃液を吐き
胃カメラを撮りに行ったり……。
後でも延べますが、夫にはあまり生活費を貰えませんでした。
だから、ただでさえ足りないお金が病院代に消えて行くのが
勿体無くて悲しくてたまりませんでした。
それなのに。
夫の事はちっとも嫌いになれないのです。
「怖い」と感じる事はあっても、嫌いにはなれないのです。
暴力を振るっている時の夫は、目付きも声もいつもと違って、
「手加減」ということもしてくれないし、
夫が疲れて気が済むまで止むことがありません。
「ああ、私は死ぬんだな」と感じた事も何度かありました。
でも、普段はとても優しくて穏やかで、いい人なのです。
見た目にも素敵だし、色々な才能を持った人なのです。
結婚が決まって、家族に紹介した時も、両親も祖母も大喜びし、
「良くこんな素敵な人を見付けたなぁ!」と大騒ぎになりました。
厳しかった父も、口うるさかった母も、手放しで祝ってくれて、
夫に色々買ってくれたり、美味しいお店に連れて行ってくれたり、
こちらが気恥ずかしくなるくらいの気に入りようでした。
だからこそ「実は暴力を振るわれている」なんて
「生活費を入れてもらえなくて私が普段の勤めの他に
アルバイトをして生活している」なんて
とてもじゃないけど言えなかったのです。
私が一緒に仕事をしていたパートナーの女性にはバレていました。
顔や体のアザが見えてしまうからです。
それでも仕事に行かないと生活出来ないし
1日でも休んでしまったら、そこで私の気力が
ぷっつり切れてしまいそうで休めなかったのです。
上唇と下唇のそれぞれ左半分が、
マジックで塗りつぶしたみたいに真っ黒に変色したり、
額が腫れ上がって顔が変型したり……。
今 思うと、そんなのと一緒に仕事をしている方も
たまらなかったでしょうね。
でも、当時は必死だったから、そこまで思い至りませんでした。
アザや怪我のない時を見計らってはお互いの実家に行って
みんなから「二人は本当に仲が良いねぇ」と言われていました。
だけど、私達は決して「仲の良いふり」をしていた訳ではないのです。
長年連れ添った老夫婦のように、
お互いの考えている事が手に取るように分かるのです。
本当に仲が良かったし、気が付くといつも同じことを考えていました。
一緒にいることが自然で、離れるなんて考えられませんでした。
小さい頃からコンプレックスの塊だった私は
夫といることで初めて生き生きと輝くことが出来ました。
殴られても蹴られても、夫を嫌いになれません。
今でも、憎むことも恨むことも出来ません。
暴力を振るった後いつも、
夫は詫びながら「俺の事を殴れ」と言います。
でも、私は出来ませんでした。
「いいから殴ってくれ」と繰り返す夫の声を聞きながら
いつも自分の事を殴ってしまうのです。
夫を殴ることなんて出来ないのです。
「怖い」とは思っても、やっぱり大好きなのです。
でも……。
あの日 家を出て来なかったら、どうなっていたか分かりません。
もしかしたら「最悪の事態」になっていたかも知れないのです。
そうは思っても、夫と子猫を残して家を出て来た自分を
今は自分で許すことが出来ません。
周りの人は、私が夫と離れたことで、最悪の事態をまぬがれた、
これは夫にとっても良かった事なのだ、と言ってくれます。
それでも、今はまだ、出て来たことが良かったのか悪かったのか
自分でも分からないでいます。
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