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運命の日
2001年8月23日6月26の朝の事でした。
私の物言いに腹を立てた夫が私に飛びかかって来ました。
「殺される」と咄嗟に感じてしまった私は、夫から逃れ
トイレの中に逃げ込み、鍵を掛けました。
鍵を掛けたらもう大丈夫な筈なのに、震えが止まりませんでした。
「開けろ」 夫の押し殺した声が聞こえました。
いつもの大きな怒鳴り声と違って、静かな低い声でした。
「開けろ」 もう一度 夫が言いました。
そして、外からドアをすごい勢いで叩きながら
鍵の掛かっている把手のレバーをガチャガチャいわせ始めました。
鍵がしまっている事は分かっている筈なのに
どうしてそんなに……、と思いながら
上下するレバーを見詰めていました。
そのうち、把手が丸ごとドアから外れかかってきました。
「開けろ」「開けろ」……
このままではドアが壊されてしまうのも時間の問題です。
でも外に出たら今度こそ殺されると思いました。
「殴られるからイヤ」と私が言うと
「出て来ないと、殴るよりもっと酷い事になるぞ。
それでもいいのか?」と夫は言いました。
私が殴られるよりも酷い事……!?
私は、部屋にいる子猫のことを思いました。
まさか、この人は子猫を虐めたりはしない、という思いと、
では、部屋中をめちゃくちゃにするということだろうか、という思いが
パニックになった頭の中を飛び交いました。
家中をめちゃくちゃにされたことが何度もありました。
割れて散乱した食器、飛び散った食べ物、
怯えて震えながら身を縮める子猫……
その時の恐怖が背筋を伝わって来ました。
それで、とうとうトイレのドアを開けてしまったのです。
5cmくらいドアを開けると、夫の睨んでいる顔が見えました。
夫は、ドアの隙間から手を伸ばして、
私を外に引っ張り出そうとしました。
怖くなった私は、また中に閉じ籠ってしまいました。
その時、夫の手が赤く腫れ上がっているのが見えたのです。
私に家を出る事を最後に決意させたのは、
この赤く腫れ上がった夫の手でした。
私は、夫の手が大好きでした。
大きくて、器用で、しなやかで、
温かくて、優しい夫の手が大好きでした。
ピアノやギターを弾く時も、子猫の背中を撫でる時も
コンピューターのキーを叩く時も、私と手を繋いでくれる時も
私は夫の手を見ているのが好きでした。
でも、その同じ手で、夫は私を殴りつけます。
その大きな手で力任せに首を絞められた事も何度かあります。
時にはその手に傘やベルトを握って私を打ち据えます。
そして6月26日の朝、私が最後に見た夫の手は
ドアと鍵を叩き壊したせいで、赤く、痛々しく腫れ上がっていました。
このままでは、二人とも駄目になってしまう。
二人とも病んでいる。
それまで他の人から言われていた事を、初めて自分の心で実感しました。
玄関のドアが大きな音を立てて閉まるのが聞こえました。
夫が会社に出かけたのです。
それでも私は足が震えていて、
なかなかトイレの中から出て来られませんでした。
やっと出てきた時、私は
「このままじゃ駄目だ」「このままじゃ駄目だ」と
うわ言のように呟いていたような気がします。
恐怖の余り、手足が震えて、思うように歩く事も出来ませんでした。
この日は1発も殴られていないのに、
殴られた時よりも大きな恐怖感がありました。
私はまず、夫の食べ残した朝食を片付け
大きな鞄に3日分くらいの着替えとコンタクト用品とお金を詰めました。
そして、夫と私の「愛娘」である子猫を抱き締め、名前を呼び
泣きながら詫びました。
「あなたをおいて家を出て行ってしまうママを許してね」と。
そして、1年と4ヶ月の間、夫と子猫と暮らした家を後にしました。
私の物言いに腹を立てた夫が私に飛びかかって来ました。
「殺される」と咄嗟に感じてしまった私は、夫から逃れ
トイレの中に逃げ込み、鍵を掛けました。
鍵を掛けたらもう大丈夫な筈なのに、震えが止まりませんでした。
「開けろ」 夫の押し殺した声が聞こえました。
いつもの大きな怒鳴り声と違って、静かな低い声でした。
「開けろ」 もう一度 夫が言いました。
そして、外からドアをすごい勢いで叩きながら
鍵の掛かっている把手のレバーをガチャガチャいわせ始めました。
鍵がしまっている事は分かっている筈なのに
どうしてそんなに……、と思いながら
上下するレバーを見詰めていました。
そのうち、把手が丸ごとドアから外れかかってきました。
「開けろ」「開けろ」……
このままではドアが壊されてしまうのも時間の問題です。
でも外に出たら今度こそ殺されると思いました。
「殴られるからイヤ」と私が言うと
「出て来ないと、殴るよりもっと酷い事になるぞ。
それでもいいのか?」と夫は言いました。
私が殴られるよりも酷い事……!?
私は、部屋にいる子猫のことを思いました。
まさか、この人は子猫を虐めたりはしない、という思いと、
では、部屋中をめちゃくちゃにするということだろうか、という思いが
パニックになった頭の中を飛び交いました。
家中をめちゃくちゃにされたことが何度もありました。
割れて散乱した食器、飛び散った食べ物、
怯えて震えながら身を縮める子猫……
その時の恐怖が背筋を伝わって来ました。
それで、とうとうトイレのドアを開けてしまったのです。
5cmくらいドアを開けると、夫の睨んでいる顔が見えました。
夫は、ドアの隙間から手を伸ばして、
私を外に引っ張り出そうとしました。
怖くなった私は、また中に閉じ籠ってしまいました。
その時、夫の手が赤く腫れ上がっているのが見えたのです。
私に家を出る事を最後に決意させたのは、
この赤く腫れ上がった夫の手でした。
私は、夫の手が大好きでした。
大きくて、器用で、しなやかで、
温かくて、優しい夫の手が大好きでした。
ピアノやギターを弾く時も、子猫の背中を撫でる時も
コンピューターのキーを叩く時も、私と手を繋いでくれる時も
私は夫の手を見ているのが好きでした。
でも、その同じ手で、夫は私を殴りつけます。
その大きな手で力任せに首を絞められた事も何度かあります。
時にはその手に傘やベルトを握って私を打ち据えます。
そして6月26日の朝、私が最後に見た夫の手は
ドアと鍵を叩き壊したせいで、赤く、痛々しく腫れ上がっていました。
このままでは、二人とも駄目になってしまう。
二人とも病んでいる。
それまで他の人から言われていた事を、初めて自分の心で実感しました。
玄関のドアが大きな音を立てて閉まるのが聞こえました。
夫が会社に出かけたのです。
それでも私は足が震えていて、
なかなかトイレの中から出て来られませんでした。
やっと出てきた時、私は
「このままじゃ駄目だ」「このままじゃ駄目だ」と
うわ言のように呟いていたような気がします。
恐怖の余り、手足が震えて、思うように歩く事も出来ませんでした。
この日は1発も殴られていないのに、
殴られた時よりも大きな恐怖感がありました。
私はまず、夫の食べ残した朝食を片付け
大きな鞄に3日分くらいの着替えとコンタクト用品とお金を詰めました。
そして、夫と私の「愛娘」である子猫を抱き締め、名前を呼び
泣きながら詫びました。
「あなたをおいて家を出て行ってしまうママを許してね」と。
そして、1年と4ヶ月の間、夫と子猫と暮らした家を後にしました。
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